記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

「脳内を覗く:私たちの思考は『言葉』ではなく『イメージ』で動いている」

 回は,次に挙げる博士論文の(A)の部分,つまり「学校教育においては内言による思考が重要であること」を紹介しました.

 の回では,(B)の内容について紹介したいと思います.

 習における思考活動において,ヴィゴツキーが「真の意味の思考になる」と述べた自己中心的言語は,生理学的には外言であるが発話の対象を自己の外に置かないことから内言であるという.つまり,このとき児童は,自分のために発話しているのであり思考しているのだ.また,学齢期の児童は内言を思考の手段として利用することが可能となる時期でもある.従って,学習の過程においてこの思考過程を仕組むことが大切であろう.・・・・(A)

 また,我々は心象によって思考する真の意味での思考の転写は,自己中心的言語によって発話され,それをもとに描かれる心象のみであると考えられる.従って,記号ではなく絵図による表出を児童の活動に仕組まなければならない.そして,その事を経て児童は思考の結果を記号化する.・・・・(B)

 のことを考える前に,最近の話題である衆議院議員選挙についてですが,自民党の大勝という結果に終わりましたね.このことは,少し今回の内容に関係がありそうです.

 さんはどうして自民党が,高市さんに対する多くの批判的なYouTube動画等が再生されたにも関わらず大勝したと思われますか.また一方で,YouTubeはよく見るけど,そんな動画は見なかったという人もいます.その仕組みについても書いてみました.

 憶の再生について考えるブログ別版」にその短縮版を掲載しています.あくまでも一個人としての考えですので,ご批判もあられるとは思いますが,よしなにお願いいたします.(^^;)

 て,今回のテーマに最も関係が深いのが心象です.心象とは,いわゆるイメージと捉えてもらって構いません.広辞苑には,「〔心〕意識に浮かんだ姿や像.心像(しんぞう)」と書かれています.

 れから,人間は心象によって思考するということについて考えてみます.そのためにはやはりヴィゴツキーの「思考と言語」を読み返して,心象についての記述を確認する必要がありそうです.そのうえで,自分自身の脳内を覗いてみましょう.

 「思考と言語」は,かなり読みごたえがある書物で,心象やイメージについての直接的な記述はなかなか見つけることができません.例えばこれは以前にも紹介したページですが,「第七章 思想と言葉」のp397 L9には,次のような記述があります.

 『内言を外言の記憶の形象における再生とみる筆者(注:ヴィゴツキー)だけが,内言を外言の鏡のような反映と見ているのである.』

 の主張は,ヴィゴツキーが内言の構文法を調査しているときに,当時の研究者と同様に内言は外言に比べて断片的であり,不完全であり,また,省略されていることを発見したが,自分(ヴィゴツキー)だけがその内言は外言の鏡のような反映と捉えていると主張する過程で出てきたものです.

 かに,自分自身の内言を省察すれば,その言語は完全な文ではないことが分かります.もし,完全な文が必要であったら,たぶん生きることは難しいはずです.なぜなら,読むのに時間がかかりすぎて会話が成立しなかったり,危険が迫っても自分自身の身体の安全を保てなかったりするからです.ところがその断片的で,不完全で,あるいは省略されている内言が,完璧な思考をもたらしてくれます. 

思考する人(AIにより作成)

 れが,内言を外言の記憶の形象における再生とみるという部分です.①形象とは広辞苑によれば,表に現れた形,姿,②人間によって知覚された事物の像,また観念などの具象化された像という説明がなされています.これはまさにイメージのことであると思われます.

 「外言の記憶」とは,外言によって表される過去の記憶という意味です.

 「その形象における再生」とは,過去の出来事のイメージの再生,つまりそれは記憶想起と考えられます.その実体はエピソード記憶であり,その再生ということです.

 たがって,内言はエピソード記憶の再生であり,またすでに獲得した意味があれば内言は意味記憶の再生でもあるということになります.

 は生活をする中で,様々な事柄の経験を記憶します.そのことについては,外言を用いてその内容を誰かに伝えることもできます.

 ここでヴィゴツキーが言っていることは,外言によって示される事柄の記憶想起されるイメージを伴った映像の内容が,内言という極めて断片的で不完全で省略されるような短い言語として発生し,その事によって思考がなされるということです.これは所謂,チャンキングのようなもので,ごく短時間で思考が完結するという素晴らしい効果を持った仕組みと言えます.

 に,「真の意味での思考の転写は,自己中心的言語によって発話され,それをもとに描かれる心象のみであると考えられるについて考えてみましょう.

 写とは広辞苑によると,文章・絵などを他のものから写し取ることと説明されています.ここで述べていることは,真の意味の思考とはどのようなものであるかということです.

 の思考,つまりその人が何を考えたのかは,脳内を覗くことができたとしても可視化できません.思考が言語ではなく心象(イメージ)によってなされ,その結果としての自己中心的言語(内言)が自らに向けて発話され,その記号化された言語から紙などに描かれたイメージが,その時の思考の本質であり意味であると言えます.

人の思考の時間的経過(一例)

 れでは最後の部分,従って,記号ではなく絵図による表出を児童の活動に仕組まなければならない.そして,その事を経て児童は思考の結果を記号化する.」の説明です.

 般的な授業では,記号(文字)で全ての学習行動を処理しようとされる先生がおられますが,今回の内容をご理解いただけるのなら,それはかなり無理のある授業になります.それは,どの教科でも同様です.必ずといっても良い程に,児童生徒の学習行動では,どこかに絵図を描かせる過程を盛り込む必要があります.そのような思考の吐き出しを経て,記号化(文字化)をさせることが肝要だと思います.私の考案した「記憶再生マップ」では,絵図を多用し,それに付随させて文字による説明を書かせています.すると,ほぼ全員の児童が自分自身の学習について発話することができました.その理由は,今回の説明によってご理解いただけたなら幸いです.

 談ですが,私はかつて指導案をイメージを多用して描いた(書いた)ことがありました,当然ながらそれを理解できる先生など誰もいませんでした.

 回の投稿はこれで終わります.次回は,ヴィゴツキーによる発達の最近接領域の問題についてです.

 知らせ.現在,放送大学機関リポジトリでは,このブログで紹介している私の博士論文「小学校理科教育における指導方略の研究-意味ネットワーク・モデルとその発展型を用いた知識構成-」が再び「最も閲覧されたアイテム」において1位を継続しています.これは,2023年の12月から1位を続けていましたが,数か月だけ2位,3位に順位を下げ,再び1位に返り咲いたものです.そこで,英語圏の研究者向けに翻訳作業を行っています.予定では,4~5月頃に出版したいと思っています.このサイトにも海外からのアクセスがあっています.海外の皆様,もうしばらくお待ちください.

 

Notice. Currently, my doctoral dissertation “A study of teaching strategies in elementary school science education - Knowledge structure by development type of semantic network model-” introduced on this blog, continues to hold the top spot in the “Most Viewed Items” category on the Open University of Japan Institutional Repository. It had maintained the number one position since December 2023, briefly dropped to second and third place for a few months, and has now regained the top spot. Therefore, I am currently working on a translation for researchers in English-speaking countries. I plan to publish it around April or May. This site also receives access from overseas. To our international readers, please bear with us a little longer.