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さて前回ですが,教師の発話だけでは,児童が言語を理解できない場合の対応ということでした.最初に理解できない原因としては,児童の耳に入った言語音で構成される言語概念がスキーマに無いことに起因することを述べ,その対応としては,概念メタファーの利用を提案しました.その他には,ジェスチャーも有効である場合があります.
そして最後に出した「a=a+1」ですが,当然ながら先生方のスキーマに何か関連する記憶がない場合は,「このような等式が成り立つはずはない」と思われたのではないでしょうか.
これはコンピュータのプログラムでした.つまり,コンピュータに命令を与えるコマンドと呼ばれるものです.その意味は,「aの値に1を加えて再びaにその値を入力する」という命令文です.例えば,aが0の時,a+1の演算をすると全体で1という値になりますね.この1という値を,aに代入するという意味です.つまり「=」は,左辺の変数aに右辺の値を「入力する」という意味になります.そして,この操作を繰り返すと,左辺のaは,1,2,3,4,・・・と1ずつ数が増えていくことになります.デジタル時計などの数字が,1ずつ増えるのはこの仕組みを利用されている場合が多いと思います.
今後,情報教育が小学校に導入される場合は,このような話も出るかもしれません.

さて今回は,「3.授業における児童の概念形成を実感する場面の例」について説明します.今回は,博士論文の書きぶりが簡潔ですので,ほぼそのまま博論の表現を転記します.
授業でよく耳にする児童の概念形成を確認する言語があります.例えば,「ああ」です.それまで,浮かない顔をしていた児童が突然,嬉しそうな表情に変わり,うなずきながら「ああね」などと呟くことが多いです.その瞬間は児童一人ひとり違っているのですが,電子黒板などに映像を提示したときなどは,比較的同時に多くの児童が,「分かった」などの言語を発することが多いものです.映像を提示するときばかりではなく,発話やジェスチャーでもこのような感嘆の言語を聞くことがあります.
また,授業の心象が言語の概念化に寄与する場合があります.例えば,3年生の理科の時間に,チョウの育ち方の学習で次の図のような板書を行いました.

この板書は,授業をまとめながら描いたように記憶しています.児童は,頑張って自分のノートに記録することになります.一部の市販されている理科ノートでは,絵や写真がすでに印刷されてあり,児童は文字だけを記すようになっていますが,このような理科の学習にあってはナンセンスと考えます.やはり,書きぶりの良しあしに関わらず,自分で描くことが大切です.
その翌日の理科の授業で,何も書いていない黒板を使い,前日に絵を描いた位置付近を指さして,「昨日の勉強で,ここに何か描いたよね」と児童に問いかけると,「チョウのたまご」や「幼虫」などの声が聞かれました.
さらに続けて,「卵の色は何色だったかな」と問いかけると,「黄色!」と言う声が一斉に返ってきました.

つまり,このような児童の反応は,昨日の授業によって映像とともに,チョウの卵や幼虫の概念が心象とともに形成されていたことになります.
このことから,児童は学習内容を記録した黒板の心象を記憶していることが示され何も書かれていない黒板を使った教師のこのような行動が,再び学習内容を概念化するエピソードの心象として記録されることになりました.
児童が経験した中から,記憶に留められた物や事柄は,そのエピソードとともに主に心象として記憶されます.例えば,見たものは色や形や大きさなどの属性が,そのイメージとともに記憶されます.
ここまでが博論に書かれている内容でした.
ここに示したように,児童の概念形成を実感する場面は,授業を行っている教師ならば幾度となく経験することになりますが,その時,先生が今回述べたことに気づけば,教師という仕事の大きな武器となり得ます.
なお,以下の記事は,今回の内容と関係のある記事です.