記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

音は同じ、意味は違う—教育現場での言語のすれ違い       

 年も早いもので6月になりました.九州北部も梅雨に突入です.

 今回は, 第1章 知識の獲得における言語の問題と概念化の実際1-2 児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせているが理解できない場合について紹介します.

 さんは,先生が発話される言語の概念を児童・生徒が持っているのに,先生の話される意味が分からないとはどういう事だろうと思われるかも知れません.でもこれは実際にあったことですし,学校現場では意外と多い気もします.

 初の例は,このブログでも何回か紹介した授業中に起きた出来事で,「とける」という言語の話です.結果的に,この事の気づきが修士と博士の学位取得につながりました.学習は小学5年生理科「もののとけ方」という単元でした.

 さんは,「とける」と聞いて真っ先にどんなイメージが脳内に浮かんできましたか.言語音で「とける」は,日本語ならおよそ「融ける」「説ける」「解ける」「溶ける」「熔ける」がキーボード入力により漢字へと変換されます.この中で「説ける」は,一般的な用い方ではないようですので外すとして,残りの言語のイメージはおよそ次のようなものです.

 「熔ける・融ける」・・・鉄がとける,氷がとける ⇒ 融解

 

 「解ける」・・・問題がとける

 

 「溶ける」・・・塩や砂糖が水にとける ⇒ 溶解

食塩を水に入れる

 々大人の世界では言語音による日常会話は,あまり問題なく相手の発する言語音の意味を解して進行します.しかし,大人と子供の会話は,そんなに上手く行きません.それは,スキーマに保管してある記憶が異なる可能性がより大きいからです.

 の授業では,教師の発話する「とける」という言語の意味と,児童が受け取った「とける」という言語の意味が異なっていました

 師は,食塩などが水に「とける」という意味で話を進めていたのですが,児童のほとんどは,氷やアイスクリーム,チョコレート,チーズなどが「とける」をイメージして聞いていたようです.ですから,「物がとけるときには,どのようになるか」という質問を児童にすると,「ドロドロになる」「ぐちゃぐちゃになる」「形が変わる」などの返答が多く見受けられました.つまり,こんなイメージでした(左).

 


 も,うかつだったのですが,我々の年代(60代)の小学生時代(昭和40年代前半)では,ジュースを飲みたい時には,水道水にオレンジ味だったりパイン味だったりの粉を入れて,スプーンでよくかき混ぜで飲むことが普通でした.ですから,粉状のものを「とかす」という経験は日常茶飯事のことであり,むしろアイスクリームやチョコレートなどは,ほとんど食べたことが無かったので,「とける」の概念としては「溶解」が主流だったのです.

出典 : Yahooオークション

 もちろん,教師はアイスがとけるやローソクがとけるなど融解の概念も持ち合わせていたのですが,この時の学習が溶解現象を学ぶので,その頭で話を進めていました.ですから児童たちが,氷やアイスクリームがとけるといった現象を脳内に思い浮かべていたなどは考えもしなかったのです.

 

 このような,ある言語の意味の取り違えに対して,教科書は全く対策がなされていませんので,教師側で注意が必要となります.というか,対策をするのは無理という事です.例えばこのような経験があります.

 学校3年生の国語科の授業での話です.ちょうど10年前の教科書ですので,すでにその教材は掲載されていないかも知れませんが,物語文でした.文章中に「野球」という言語がありました.すると女の子が,「野球って何?」とつぶやいたのです.


 人は,環境によって言語を学習します.この女の子の家庭では,「野球」という言語を使った会話が皆無であった可能性があります.

 今回の「とける」の例のように,同一の音声言語に対して,異なる意味を持つ者同士の会話は成立しにくいと考えられます.

 更に,同一の音声言語に対する,間違った幾つかの意味を持つ事例を紹介します.

 これも「もののとけ方」の授業を指導しながら気づいたのですが,「とうめい(透明)」という言語の意味の曖昧さです.児童に水溶液が透明であることの指導において,透明の意味を尋ねたところ,「見えないこと」や「色が無いこと」などの誤概念が確認されました.

 透明の言語概念は児童の身の周りに,ガラスや水,池,ジュースなど透明な物が比較的多く存在することから,日常生活において極めて早い段階で素朴概念が形成されると考えられます.従って,理科の授業などで透明の概念を扱う場合は,素朴概念が言語となって発話されます

 これらの児童が,どの様にして誤概念を持つようになったかは定かではありませんが,初めて「とうめい」という言語を教えられた時に,その人物(一般的には親)が,どのような説明をしたかによって心象は異なってきます.

 えば,きれいに澄んだ水を見て,他者が「透き通っているね,こんなのを透明と言うんだよ」と言う場合と,「色が無いでしょ.こんな事を透明と言うのですよ」とでは理解の内容が異なります.

 明のように,映像化が困難な事物の性質や状態などを表す言語は,正しい概念を形成することが難しいと言えます.

 紹介したように,同じ言語で教師と児童で異なる概念を持っている場合は,教師の発話による知識の獲得に児童が戸惑い,誤概念が形成される可能性があると考えられます