今回から本題に入っていきます.
第1章は「知識の獲得における言語の問題と概念化の実際」というタイトルです.
この第1章は次の5つの章で構成されています.
1.児童が言語を理解できない具体的な場面
2.教師の発話だけでは,児童が言語を理解できない場合の対応について
3.授業における児童の概念形成を実感する場面の例
4.理解することと能力を身に付けること
5.ヴィゴツキーに見る概念形成
の5つの章立てとなっています.
今回は,言語によって情報をやり取りする授業を考える上で押さえておきたい「児童の言語理解」について,日頃の授業で観察される「児童が言語を理解できない」具体的な場面について紹介します.
学校関係者以外の皆さんは,「児童が言語(日本にあっては日本語)を理解できないなんてどういう事?」と思われるかも知れませんが,授業を行う教師はこれが意外に多いことに気づいています.
これは大きく分けると次の2つの場合に分けられます.
「児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせていないために理解できない場合」
「児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせているが理解できない場合」
ここでは,学校現場のどのような場面のことを言っているのかが分かれば良いと思われますので,一つずつ例を挙げて紹介します.
今回は, 1-1 児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせていないために理解できない場合について紹介します.
ここで紹介するのは,現在の国語の教科書には無い教材かも知れませんが,以前,小学校5年国語に掲載されていた説明文「森林のおくりもの」例です.
この教材はyoutubeに「音読」があります.
聴き始めから4分45秒で「・・・・屋根を支えていた垂木(たるき)が・・・・・」と音読をされています.もちろん学習に入る前には,難しいと思われる言語については,辞書で調べています.しかし,この垂木が児童には難解でした.
辞書には,
「垂木(たるき) 棟(むね)から軒に渡して屋根面を構成する材料.下から見えるものを化粧垂木,見えないものを野垂木という.社寺では2重に用いることが多く,上のを飛檐(ひえん)垂木,下のを地垂木という.」 (EX-word)
のような説明が書かれています.
小学生の頭で,このような説明が理解できると思われますか? 特に赤文字の部分が,児童が調べ学習などでノートに転記する部分になりますが,この部分ですら難解です.もちろん,小学生用の辞書にはもう少し優しく分かり易い言語で説明してあるものもありますが,それでも難解な児童は沢山います.
つまり,この部分を読んでもイメージできないのです.まず「棟」が分かりませんし,「軒」も不明です.さらに「渡して」が何のことか分からずに,「屋根」は分かるにしても「面」が付くと分からない児童が続出します.物事の説明には,言語で説明をしても十分に分かるものと,このようにいくら言語で説明しても,学齢期の児童・生徒には分かりづらいものが存在します.
知識の獲得における言語の問題の一つは,ある意味でこの点に集約されます.
国語は主に言語を学ぶ学問ですが,言語の意味を言語で説明するという凝り固まった考え方が災いする良い例だと思います.脳に入力される言語や言語音の意味を理解するためには,自身のスキーマに,その言語に関連するイメージが無いと理解できません.
このことに気づいていない教育関係者が沢山いらっしゃいます.現場の先生や大学の研究者,教育行政の関係者等々です.それと保護者の方も意外と気づいていない場合が多いと思います.
先程の「垂木」に話を戻して,どのようにすれば小学生が理解するかを考えてみましょう.屋根を支えていた垂木ですので,児童の目線は見上げることになります.屋根は垂木に比べて分かりそうですので,教師が黒板に絵を描いて説明すると良いですね.または,どこからか写真を持ってきて教室のテレビに映し出して説明するとさらに分かり易いと思います.
このような図で垂木とは,どの部分の木なのか少しずつ分かり始めてきます.
結局のところ言語の学習は,このような手続きを経て概念化されることが分かります.
もし,児童のスキーマに何らかの手がかりとなる記憶があれば,それを利用することは可能かも知れません.例えば,児童の記憶に「次のような映像がある」と教師が推測すれば,教師の言語だけで概念化は可能かも知れませんね.
しかし,多くの児童が暮らす環境で,このような垂木を目にすることはあまりありません.それは,現代のモダンな家屋を見れば垂木を見えないように軒下の部材で隠してある住宅がとても多いからです.ましてや,マンションなどに暮らしている都会の児童は,ほとんど目にする機会も無いようです.
今回は教師が発話する言語というか,教科書に書かれている一つの言語を例として教師の発話する言語の概念を持っていないことによる児童の概念化の難しさについて説明しました.
学校教育で飛び交う言語,つまり情報として児童・生徒の脳に入力される言語が,どのように理解され概念化するかを,もう少し丁寧に議論することも必要なのではないでしょうか.
次回は,児童が教師の発話する言語の概念を持つ合わせているが理解できない場合について説明したいと思います.
今回も丁寧にお読み頂いたことに感謝申し上げます.なお,本ブログのURLが変更になったことに関しまして,ご迷惑をおかけしました.先生方や一般の方々で,このブログが教育現場の活動に役立つと思われたら,是非とも様々な方々にお声かけをお願いします.